中信地区のインテリア組合より端を発し、カーテン等の防火規制問題などがきっかけとなり、同時に日装連からの加盟呼び掛けとも重なり県として一本化した組合設立が必要なった。
発足準備段階では中信地区、南信地区が母体となって、東信地区、北信地区にも呼び掛け結成して行く段取りがとれた。結成までの経過の中ではいろいろな諸問題が発生し幾度となく会合を開き、ようやく結成までの準備ができるまでの段取りができた。
昭和48年11月東京商工会議所で日装連に加盟する件についての協議する会議が開催され、当県から細川、鈴木、武井、野邑の4氏が代表として出席した。
その後も何回かの会合の末ようやく長野県組合設立総会の日程を決めるまでに至った。
昭和49年5月15日諏訪湖ハイツにおいて「長野県室内装飾事業協同組合」設立総会を開催した。この時の組合員数は57社。
それ以降は発展の一路をたどり、以来10年の隆盛を続け、昭和58年9月20日に、第二東急インホテルにおいて、組合設立10周年記念式典をまた、平成7年2月22日に松本東急インにおいて組合設立20周年式典を盛大に挙行し、現在に至っている。
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